自然堂はりきゅう院の名前の由来④
安藤昌益の思想にふれて
安藤昌益は江戸中期の思想家・医者です。(1703~1762)
彼は当時常識とされ、また私たち伝統医学を学ぶ者たちにとって誰もが知る「陰陽論」「易」「儒教」などを批判しました。
彼が住んでいた奥羽では飢饉が頻発し、民衆は危機にたびたび接します。
民衆が危機に瀕するのは何も生み出さない支配階層が原因であり、身分制度は諸悪の根源であり、人々はみな平等に土を耕すべきだと唱え(直耕)、江戸幕府が封建制度を維持するのは、民衆を搾取するために儒教や朱子学を利用しているとし徹底的にこれを批判しました。
また、男と女を区別する「陰陽論」、上下(ヒエラルキー)関係の固定につながる「易」をも否定します。
社会でもっとも尊いのは「いのち」を生み出す女性であり、社会の未来でもある子供であるから、医療で最も大事なのは産婦人科と小児科であると唱えました。
現代でいえば、無神論、アナキズム、社会民主主義につながる考え方です。
また自然と人が調和する社会を目指した昌益の思想は、現代のエコロジカルにも通じます。
昌益は武士が支配する世を「法の世」として批判し、貧富の差もない平等な社会を「自然の世」として理想としました。
200年も早く産まれた思想家・安藤昌益が目指した社会は、もしかしたら人の幸福感を目指す北欧的な社会民主主義的な思想なのかもしれません。
当時最先端であった学問を否定し、士農工商という身分制度や政治体制を真っ向否定する…社会的な弱者の為に、当時としては過激思想を唱えるのは命がけだったでしょう。
そんな彼のやさしさや勇気、自然と人との共生・・・とても好きな思想家です。
安藤昌益の著書の「自然真営道」から自然をとり「自然堂」と名付けました。
参考図書:安藤昌益の世界(石渡博明 著)