自然堂はりきゅう院の名前の由来③

ケニアで感じたこと

ケニアは東アフリカにあるイギリスの旧植民地です。アフリカの玄関口ともいわれ、マサイ族や野生動物の宝庫としてもよく知られています。その首都ナイロビからミニバスで1時間半のところにマチャコスという町があります。
カンバ人が多く住む土地で、別名ドライランドとも呼ばれ水が出にくいエリアです。
そこの東アフリカ共同体(ケニア・タンザニア・ウガンダ)で当時唯一とされた視覚障がい者の技術専門学校で指圧を教えていました。(2006-2008)

広大な大地に道がまっすぐ地平線まで続きその先に町が現れる。
ふと、脇をみるとキリンやガゼルが草を食んでいます。
道なき草原を母娘が水の入ったタンクを頭にのせてゆっくり歩いている・・・
その行く先は何もない地平線で、一体この母娘はどこへ向かっているのだろうか。
朝は様々な小鳥たちのさえずりで目が覚め、夕陽のシルエットは家路を急ぐ牛追いと白鷺の群れ、夜は満点の星空という環境で生活をしていました。
そして私の生徒たちは一本の手ぬぐいと技術だけで、人生を変えようと夢をみていました。

人や動物たちが自然の中で生かされている。
私が生まれ育った東京とでは人と自然のバランスが完全に逆転していました。

その自然の中では人の死もまた自然なものでした。
生徒や同僚が亡くなるケースが多く、その死因を聞いても「disease」とか「マラリア」(←なんでも病気をマラリアという)
で、なんの病気?どこが悪かったの?と聞いても同じ答え。
彼らにとって死という現実があるだけで、それ以上はないように感じました。
そして、彼らの意識に根付く自然との共生の考えは日本人もかつて持っていたような気がするほど、共感を覚えました。

ケニアに、より必要なのは現代医学であって、日本に、より必要なのは伝統医学なのではないか。

日本人は不安をあおられ、不安を作り、不安によって生きているのではないか。医療というより医療産業と化してないだろうか。
それによって大切なものを失っているのではないか。
もっと生老病死はシンプルでいいのではないか。

そんなことを考えながら治療院名には「自然」とつけようと思いました。