シーボルトと石坂宗哲

杉山検校を偲ぶ会

自然堂の五味です!
私が理事をしている杉山検校遺徳顕彰会(江戸の盲人鍼医杉山和一を顕彰しています)にとって5月は大切な月です。
杉山和一が亡くなった日が5月18日(観音信仰による遺言)なので、かつては全国各所で杉山祭を行っておりました。
残念ですが、現在は藤沢の江ノ島で5月の第2日曜日、第3日曜日に両国の江島杉山神社のみで行っています。(杉山検校を偲ぶ会)
今年は僭越ながら江島杉山神社の神事の司会をさせていただき、無事執り行うことができました。

シーボルトと石坂宗哲 講演会

町 泉寿郎先生(二松学舎大学教授 東アジア学術総合研究所長)によるシーボルトと幕末の鍼医官・石坂宗哲と交流のお話をしていただきました。町先生の論文を拝見してからいつか講演に来ていただきたいという思いが結実した日となりました。

長崎鳴滝塾で多くの門人を育て、江戸後期の蘭学の普及に足跡を残したシーボルトは、優れた日本研究者として知られています。シーボルトがヨーロッパに紹介した日本のさまざまな文物の中で医学については鍼灸が突出してました。その鍼灸が幕府の医官の石坂宗哲から得た知識によるものであったことが知られています。オランダ・ライデン大学所蔵のシーボルト資料を通して、シーボルトと石坂宗哲の交流について紹介してもらいました。

ヨーロッパへ伝わる鍼灸医学

●ルイス・フロイス→「日本史」の中で、16世紀の名医曲直瀬道三と足利学校について記載。主に当時は鍼より灸について多く記されている。この当時は灸がもぐさの原料がなにかは特定されていなかったらしい。

●ヘルマン・ブショフ(1620~1674)(バタヴィアのオランダ東インド会社で医師・牧師)→痛風に関してヨーロッパの治療法と比べても「もぐさ」の方が効果的であると述べている。

●ウィレム・テン・ライネ(1649~1700)→アキュパンクチュア(鍼)という言葉を作った。鍼を意味する「Acus」と刺すことを意味する「Puncture」というラテン語を合わせて「鍼術」という訳語が作られた。長崎滞在中に鍼灸に関する情報を収集した。十四経、経絡の位置を紹介した。

●ケンペル(1651~1716)→日本滞在中に「鍼灸による日本における疝気の治療法」「すぐれた焼灼法としての中国と日本の灸法についてー病気の時に体にお灸をすえる場所の付録図ー」という論文をライデン大学に提出した。
ケンペルは鍼の刺し方、鍼の持ち方、皮膚に打つ方法、槌をもちいた打鍼法、捻鍼(ひねりはり)、管鍼(くだはり)などの技法を紹介している。
※テン・ライネが滞在した時期は、杉山和一の管鍼の開発以前であり、テン・ライネはそれを知らなかった。ケンペルの論文ではそれを紹介しており、おそらくこの間に杉山流の管鍼術が広がったと思われる。

日本のシーボルト研究者と杉山検校遺徳顕彰会のつながり

もっとも講演の中で驚いたのは、顕彰会の2代目、3代目の会長の名前がでてきたからです。

●呉秀三(1865~1932)→最初にシーボルトについて本格的に研究をした。東京帝国大学医学部の精神科の初代教授。呉家は広島藩医の家。精神科の難しい学術用語の翻訳に漢語知識を遺憾なく発揮した。杉山検校遺徳顕彰会の2代目会長
富士川游・土肥慶蔵・藤浪剛一らと並ぶ日本医学史研究の開拓者の一人でもある。

●藤浪剛一(1880~19429)→日本初の放射線科医。慶応大学医学部。杉山検校遺徳顕彰会3代目会長

江戸時代が終わり新政府はそれまであった組織や仕組みを解体しましたが、当道座(盲人の互助組織)や漢方医学もその対象になりました。明治の新しい時代を作っていこうとする気風の中、どのような思いで杉山和一の功績を顕彰する会の会長を引き受けてくれたのでしょうか。今では想像するしかありませんが、先人の思い胸に身が引き締まる思いをもちました。

石坂宗哲とその鍼灸医学

石坂宗哲(1770~1842)
江戸後期の鍼灸医師。幼少時に徳川幕府の鍼科医官石坂家の養子となる。家祖石坂志米一(しめいち)は越後小千谷出身で失明し杉山流鍼治稽古所で学ぶ。宗哲が養子となった頃の石坂家は困窮を極め、若き日の宗哲は按摩によって日々の糧を得ていた。

江戸医学館の多紀氏の推挙により幕府の医官として出世し、鍼科奥医師・法眼に昇進する。宗哲は多紀元簡や鍼科医官山崎宗運ら医学館関係者と良好な関係を結ぶ一方、従来の鍼灸医学に満足せず、西洋解剖学に関心をもち、蘭学者と交流する。シーボルトと宗哲の交流は西洋医学と日本鍼灸の交流と深化していく。

宗哲は西洋医学を学ぶことで古代中国鍼術の真価に迫ろうとした。従来の経絡にとらわれない治療を志した。

宗哲がシーボルトに贈ったもので重要なのは「知要一言」と「九鍼之説」。鍼や鍼の道具も贈っている。

まとめ

私が石坂宗哲に関心をもったのは鍼灸師の友人の治療法が「石坂流」だったからです。
これがよく効いた。すっかりこの治療法のファンになりました。石坂流はその特殊なやり方からか、継承者が少ない。1本の鍼を大切に扱う鍼法は江戸時代の鍼を想起させました。

また、シーボルトは有名ですが司馬遼太郎の「花神」の中に大村益次郎とシーボルトの娘イネとの恋愛模様が描かれています。

昨年の米山検校と勝海舟もそうでしたが、歴史というのは大きな流れのなかに様々な人間関係のつながりや人と人の縁が集まって重層的に大きな流れになる醍醐味に深い感銘をうけます。

私たちの小さな出会いやその志が未来をつくっていると思うと、出会いや縁を大切にしていきたいと思います。